しがない感想文

映像制作に関わるサラリーマンの、本や映画の感想ブログ。

オールドボーイ

スパイクリーの作品は昔から好きでよく見ていた。リズミカルでスピーディなブラックミュージックのようなタフさがある。
本作は漫画原作、韓国で映画化されたもののハリウッドリメイク。アル中で世に倦んだ中年男が、突然、モーテルのような部屋に20年間監禁される。次第に精神を失調し、狂っていくが、唯一の希望はテレビに映し出される娘の姿。当時3歳だった娘は両親が消えた悲劇の少女としてテレビ番組でその成長が追われていた。男は決して届かない娘への手紙を書くことを日課としながら、アルコールを断ち身体を鍛えて脱走計画を練る。そして、娘に会うため、自分を監禁した人物を探しにゆく…
あらすじはこんな感じ。監禁には理由があり、それは過去に男がしたささいな行動への復讐だった。男の行動はささいではあったが、傷つけられた側にとっては男への復讐の大いなる動機になった。
その復讐の仕方がすごい…こんな仕打ちがあるかというグロテスクな復讐。肉体の痛みや死ではない。精神への苦痛、そして自らがした事への痛烈な罪の意識を植え付けるための復讐である。
なんかこの作品を見て思ったのは、人が他人の感情を理解することはいかに難しいかということ。誰もが大切な人の気持ちを理解しようとはするだろうが、そうでない大多数の他者との無神経なコミュニケーションが大いなる傷を与えている可能性があるということを思わされる。いじめられた側は、いじめた相手を忘れず一生根にもっても、加害者はいじめたことを忘れ去って生きていく。その非対称性。残酷さ。
ハンナアーレントを見た感想ともつながるが、人間は被害意識は強烈に残るが、加害意識を余りにももてない生き物だ。それは、加害の複数性、間接性にあるのかもしれない。教室でのいじめは、首謀者はいるのかもしれないが、ほとんどが「空気」にしたがって、複数によって行われる。無視する流れ、みたいになったら、大多数がそれに加わる。でも空気にしたがってるだけなので、自分が加害者だという意識が生まれない。中心人物の責任だろ、って感じになる。
加害意識は薄れ、被害意識は膨らんでゆく。どれだけ殺したかより、どれだけ殺されたか、だ。いつの時でも。